2016年

2月

08日

13期生 卒団コメント

3年生の時にファイターズに入りました。女子のチームにも入っていてファイターズの練習や試合に行けないこともありました。迷惑をかけたこともあったと思いますが、児玉監督はいつも理解してもらって感謝しています。
児玉監督や小松原コーチや倉田監督、久住コーチ、まさるコーチから練習中にやりかたや、どうしたらいいかなど色々なことを教えてもらいました。どういうところが特にいいかなどほめてもらうこともありました。こんなに教えてもらうのだから、うまくなるようにがんばろうと思うようになりました。今、私が前より上達して、それにサッカーをしていられるのは監督やコーチたちのお蔭だと思うので感謝の代わりにサッカーが上手になるようにこれからもがんばりたいです。

5年生以下のみなさんこれからも一生懸命に練習し、楽しくサッカーをしてください。

                               長谷川 夏実


僕はこの6年間ファイターズのキーパーとしてやり続けて来ました。
最初は1人で辛かったけど、4年の時にアッキー(中澤くん)がキーパーを引き受けてくれて、
良きライバルとして頑張る事が出来ました。
中学ではキーパーだけではなくフィールドも挑戦して行きたいです
下級生の皆さんも優勝を目指して頑張ってください。
児玉監督やコーチの皆様、
ありがとうございました。

                           鈴木 将人


僕が中学の目標は、攻守の切り替えや判断を速くして、攻撃も守備もできるような選手になることです。小学校では攻守の切り替えが遅く、ディフェンスが少し遅れていました。それと判断も遅く、パスの出しどころに迷い、ボールを取られることもありました。この二つのことを克服してスタメンになり、大会でもいい成績を残したいです。

ファイターズの後輩達は日々練習に真剣に取り組み、大会でいい成績を残せるよう、頑張ってください。

                                   諸橋 知音
ファイターズで頑張ったこと。

ぼくは、ファイターズで1対1の勝負では負けない事を自分の長所として、がんばりました。
 ぼくが一番心に残っている試合は、4年のときの上山カップです。その試合は初めての試合で、スタメンに選ばれてドキドキしました。試合はあっけなく負けて12チーム中、11位でした。だから、1年後の上山カップでは、『優勝』を目指しました。でも、決勝で、女池に敗れ、ものすごいショックでした。それも一点差で負けてしまいました。6年生になっても、一点差、一点差と、たった「一点」で負けることが多く、くやしかったです。でも、これが自分の実力だと思うと何か変えなきゃいけないと思いました。いろいろと努力しようと思ったけど、一つも続けられませんでした。だから、中学では足もとやシュートの決定率をあげたいので、時間があいたら、コツコツ足もとの練習をしたいです。そしてぜったい勝つという気持ちをもって、練習をがんばりたいです。
                                   押田紘之朗

 

中学での目標は、体力のUPとパス・シュートの精度のレベルUPを目指します。
ファイターズに残る後輩たちへ・・・
どの学年も試合が増えてくるので、一試合一試合悔いを残さないよう全力で頑張ってください。また練習では、個人のスキルアップも頑張ってください。
残りのファイターズ人生を一生懸命楽しんでください。
最後にお世話になった児玉監督はじめコーチの方々今まで本当にありがとうございました。
これからも頑張ってください。
ぼくは中学へ行ってもサッカーを続け、精一杯頑張ります。
                                 稲田晴太


僕は、中学生になったら、AFC94というチームに入ります。 AFCでの目標があります。
その目標は1学年上のレギュラーになることです。AFCに入ったらすべてが最初からになるので練習の時からしっかり声を出したり、基本練習を真面目に取り組んでアピールをしたいです。
 1から5年生は学年が1つあがりますね。自分の力を出して自分の目標に向かって頑張ってください。特に5年生はファイターズのトップになるのでファイターズを仕切って頑張ってください。
伊藤 暖人
僕は中学生になったら、サッカー部に入ります。ファイターズで練習をしたことや、試合での経験を生かして、頑張ります。もっと体力をつけて、積極的にシュートを決めたいです。ファイターズの1、2年生は、監督コーチのいう事をよく聞いて頑張って下さい。3、4年生は、公式戦も多くなるので、頑張って下さい。5年生は、基礎を忘れず、技術面も頑張って下さい。ベンチの人も、声を出して応援して下さい。僕は、ファイターズに入って、体力もついて、楽しい事が多かったです。成長出来ました。ありがとうございました。
                                  水田 重輝

 

6年間サッカーをやってきて後悔した事は逆足が利き脚のようにボールを蹴れなかった事と、大事な全少で初戦敗退した事です。
中学では逆足の練習を頑張ってやりたいと思います。
在校生のみなさんはサッカーを楽しみながら練習では集中して、全少や他の試合で勝てるように頑張って下さい。
 
                                                    本間 瑞


ぼくは4年生の終わりにファイターズに入りました。
4年生の時の自分と今の自分はぜんぜん違います。4年の時はみんなとの力の差を感じていました。その時から少しあきらめていたと思います。
5、6年生は練習や自主練習をかさねていったら自信がついていき、『もう無理💧』という言葉をあまり言わなくなりました。
後輩たちに伝えたいことは努力すること、自信をもってやることが大切だと思います。
これからも大会、練習などに全力でプレーしてください。本気でやればやるほど強くなります。大会は優勝めざしてがんばってください!
児玉監督や小松原さん、倉田監督練習をみてくれてありがとうございました。

 仲川怜

 

 


中学生に向けての抱負や決意
 
 ぼくは、中学校でのサッカーは部活に入ると思います。
 上中サッカー部は体力づくりなどがすごく厳しいと聞いています。
 でもぼくは、とちゅうであきらめずにひとつひとつ一生懸命がんばろうと思います。
 ぼくの目標は自信を持つことです。自信に満ちあふれる人は何事も自分を信じて
 まっすぐ進むことができます。
 自信をつけるには、日々の練習をしっかりやっていけばだんだんと自信がついてくると
 思います。なので中学でのサッカーは日々の練習をしっかりがんばりたいと思います。

後輩に向けてメッセージ

 5年生(新6年生)はファイターズの最高学年として、低学年の子たちを引っ張って
 いってほしいです。
 4年生(新5年生)は最高学年を支えるようがんばってください。
 3年生(新4年生)はしんきんカップがんばってください。
 2・1年生(新3年生・新2年生)は最高学年の言うことをよく聞いてがんばって
 ください。
                                  御園 大智


【中学生に向けての決意】
僕は中学生になったらサッカーと勉強を両立して
自分の納得する結果を残したいです。
また苦手な足で正確なパスを出せるように頑張りたいと思います。

【下級生の皆さんへ】
楽しく悔いのないサッカーをして下さい。

【監督、コーチの皆さんへ】
ファイターズに入って監督やコーチにとてもお世話になりました。
ファイターズで学んだ事を中学生になっても活かしていきたいです。
本当にありがとうございました。
佐藤康太郎 


中学では、ずばり!
「体力づくり」 「ロングボールを蹴れること」 「フィジカルで負けない」
この三つを誰よりも負けないぐらい努力して、身に付けて中学のスタメンをとります!
下級生の皆さんへ・・・
新2年生→基礎を身に付けて、頑張って下さい
新3年生→中学年になるので、1.2年生を引っ張ってください。              
新4年生→試合が多くなるので頑張って下さい。
新5年生→新六年生のサポートを、よろしくお願いします。
新6年生→最高学年として、みんなの模範になって下さい。
最後に僕にサッカーを教えて下さった児玉監督、コーチ陣の皆様ありがとうございました。
横田 隼


       
中学での目標 
クラブチームに入団が決まりました。そのクラブチームに入団した人はみんな強くて 
ぼくではかなわないと思います。だけど僕は練習を人一倍がんばってスタメンを 
取ります。 
 
鳥屋野ファイターズ 在団生へ 
新6年生は全少や東北電力ではいい成績を残して下さい。 
他学年も大会などでは良い成績を残して下さい。これからも学年ごとにがんばって下さい。
新6年生は今年で鳥屋野ファイターズでのサッカーが最後なので悔いの残らないように 
一年間がんばって下さい。
                                 田中啓心

 

僕は、中学でサッカーを続けます。皆さんは一点の重さを大切にしましょう。
中学に行ったら、スタメンをとれるように頑張ります。
                                 中澤 篤希

 

 

4年の10月ごろにファイターズに入ってから、今日までの約2年間、ファイターズではサッカーのことやそれ以外のことまで多くのことを学ばせて頂きました。ここまで成長出来たのも監督やコーチ、そして保護者の方々のおかげです。本当に感謝しています。
僕は中学へ行ってもサッカーを続けます。中学のサッカーでもファイターズで学んだことを生かしていきたいです 。
最後に監督、コーチ、保護者の皆さんには約2年間本当にお世話になりました。今までありがとうござ。
そして、1~5年生へ
学年が上がってレベルも少しずつ上がっていくと思いますが、5年生はファイターズのトップとして、4年生は5年生のサポートなどを頑張って下さい。1~3年生は日々の練習などを頑張って下さい。
                                                                 阿部 真大             

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2016年

1月

14日

「ありがとう、鳥屋野ファイターズ」

 

怜は4年生の10月からファイターズに入団しました。2年生くらいから学校の休み時間にサッカーをしていて興味があったようで、3年生の春に1年生の時から仲の良い真大(まなと)と一緒にリベルタサッカースクールに入りました。

 

スクールで物足りなくなった頃、友達の勧めもあって真大と一緒にファイターズの体験に行きました。

 

行ってみたらいつも一緒にサッカーをしている仲間が笑顔で出迎えてくれ、すぐに入団を決めました。保護者の方々も何もわからない不安いっぱいの私たちに分かりやすく説明していただき、とても安心したのを覚えています。

 

5年生の初めての夏ではあまりの暑さにバテバテ…..。熱中症を心配していましたが予感的中。大事な試合で気分が悪くなってしまった事もありました。

 

そんな中、くやしくて気分が落ち込んだりしたこともありましたが、仲間の励ましで乗り越えることができました。ここまで続けてこれたのも6年生のメンバーのおかげだと感謝しています。

 

怜はファイターズの一員となりサッカーを通じて心身ともに成長させていただいたと思いますし、私たち家族もとってもにいろんな事を経験できた2年半になったと思います。

 

中学へ行ってもサッカーを続ける事を決めている怜。監督、コーチの方々からの指導で学んだことを胸にこれからもがんばってほしいと思います。

 

最後に、児玉監督はじめ小俣代表、倉田監督、小松原コーチ、小山クラブマネージャー、その他多数のコーチ陣の皆様、お忙しい中指導していただきありがとうございました。

 

そして保護者の皆様本当にお世話になりました。鳥屋野ファイターズ関係者に感謝!!ありがとうございました。

 

 

 

仲川怜の母 美代子

 

 

 

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2016年

1月

14日

ありがとうございました!

 

真大は鳥屋野ファイターズに

4年生の10月に入団しました。

 

3年生の時サッカーをさせたくて、学童ひまわりからの友達の怜君と一緒にサッカースクールに通わせていましたが、サッカースクールのサッカーに物足りないものを感じ始め突然、「スクールやめたい」っていい始め「ファイターズ行きたい」って言われて、

 

私が悩んでいたら、怜君母に

 

「ファイターズ行かせてみよう」って背中を押してもらい

 

怜君、真大一緒の入団でした

 

 

ファイターズに入ってから

 

児玉監督の厳しい熱い指導のおかげでどんどんサッカーも上達し、数々の大会など活躍の場を頂きとても感謝しております。ありがとうございました。

 

小松原コーチ真大を優しく見守って頂きありがとうございました。

 

古俣代表、倉田監督、的確な

 

アドバイスをありがとうございました。

 

「コウジ、コウジ」と可愛いがって頂いたコーチの皆様

 

ありがとうございました。

 

小山理事スポ振のランニング行事では大変お世話になりました。

 

ありがとうございました。

 

U-12の保護者の皆様

 

私達親子に沢山の励ましと

 

支えくれたり、助けてもらいありがとうございました。

 

お世話になりました。

 

U-1214名の仲間達と真大

 

沢山の思い出ありがとう。

 

ファイターズの益々の活躍を

 

祈願します。

 

(阿部真大の母和美より)

 

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2016年

1月

14日

「ありがとうございました」

 

知音は、4年生で鳥屋野小学校に転校し、「新潟では、同じ学校の友達と一緒にサッカーがしたい」と本人が希望し、ファイターズに入部しました。

 

三年間の活動の中では楽しいことばかりではありませんでしたが、転校生だったことを忘れるくらい、心を許せる友達も沢山出来、サッカーを通して心も体も大きく成長出来た三年間でした。

 

入部当初は、どちらかというと子供っぽく、のんびりとした性格の知音でしたが、ある日「試合には出せない」と監督に言われ、泣きながら帰ってきたことがありました。技術的にも、向き合い方も足りなかったのだと思います。初めて見る知音の悔し涙で、どういう言葉をかければよいか迷いましたが、「頑張ってダメだったなら分かるけど、まだ何も努力してないのに悔しいと思うのは違うよ」と話しました。5年生になる少し前の冬の寒い日でしたが、次の日から毎朝公園で朝練をするようになりました。今思えば、あれが、知音が変わるきっかけだったと思います。まだまだ努力も足りなくて、どこか甘いところがありますが、「強くなりたい」「負けたくない」という気持ちが芽生え、顔つきも少し違ってきたように思います。56年では怪我も多く、本人にとって思うようにいかない事も沢山あったと思いますが、監督・コーチ陣には、根気よく見守り、指導していただいたと思います。

 

くじけそうになっている時も親以上に親身になり、ケアしてくれたパパコーチ、一緒に見守ってきた保護者のみなさまには心から感謝しています。

 

そして、一緒に活動してきたファイターズの6年生には「よく頑張ったね」と言ってあげたいです。私自身は、間近で子供たちの頑張っている姿を見ることができてすごく楽しかったです。

 

 

 

三年間どうもありがとうございました。

 

 

 

知音母 諸橋 環

 

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2016年

1月

06日

大好きなファイターズ

 

大智は4年生の6月に入部しました。

 

実は2年生の時ファビオで下積みする中で、サッカー好きな両親はチームに入れたいと思い、3年生で保育園から一緒の暖人と体験しました。

 

暖人はすぐ入部。大智はファビオが楽しいからファイターズは4年生になったら入ると・・・

 

1年後の4年生で入部することになったのです。

 

今思えばこの1年の差は大きく、3年生のあの時、暖人と入部していれば今頃Bチームあたりにいたのかも(笑)と悔やまれますが、その頃続々と他の子も入部してきたため、すぐにみんなと仲良くなり、親も子も自然にファイターズの輪の中に入ることができました。

 

 

 

なかなか試合に出してもらえず、悔しい思いもした約3年間でしたが、持ち前の粘り強さと真面目な性格でコツコツと努力し、主に右サイドバックとしてたまに起用してもらえるようになりました。

 

トップチームの今年はずいぶん持久力がつき、ファイターズ以外でも陸上の長距離選手に選ばれたり成長が見られ、本人も自信がついたように思います。

 

 

 

そしてもう1つ大きな収穫!

 

親同士の繋がりも深くなり、毎週末ファイターズに明け暮れ、時には夜な夜な美味しいお酒とおしゃべりを堪能し充実した生活を送ることができました。

 

ファイターズ最高です!!

 

 

 

厳しくも真剣に子供たちと向き合いご指導いただきました児玉監督、なっちゃんネタでいじってヘタレな大智をいつも気にかけ声をかけてくださった倉田監督、ファイターズ全体をいつも温かく見守り、楽しい雰囲気を作ってくださる古俣代表、ボランティアスタッフ、コーチの皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

我が家にはまだ下に海翔という次男坊がいますので、これからもいろいろお世話になるかと思いますがよろしくお願いいたします。

 

 

 

  御園大智の母 御園美保

 

 

 

に続きまして、

父 御園武史より。

 

ファイターズ6年生のみなさん卒団おめでとう。

 

大智4年生からの入団でしたので3年という短い間でしたが、みなさんとの思い出がたくさんありすぎてなかなか言葉になりません。

 

入団当初は「おいおい、うるせー父ちゃん入ってきちゃったぞ」って感じだったと思いますが、文句も言わず付き合ってくれてありがとう。

 

ファイターズの一員になれたことは、大智にとっても、また私たち家族にとっても本当に貴重な宝となりました。

 

みなさんもこれから進む道がそれぞれ違っても、ファイターズの仲間だったことを誇りに思い、これからを頑張っていってくださいね。

 

児玉監督をはじめ、スタッフ、コーチの皆様、本当にありがとうございました。

 

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2016年

1月

06日

卒団ブログ

4年の5月より、入部⚽️初めての試合は上山カップだったかな。入部してからずうっっっっと、もっと頑張れ、もっと頑張ってよといい続けた気がします。でも、紘シローは頑張ってたんだよね。どんな時も休まず「行ってくるね」と練習に試合に積極的に参加した事は本当に偉かったと、親バカながら思います。宿泊先から、「やっぱり日曜練習行きたい!!」と朝食そこそこに、体育館練習に行った事もありました。そんなファイターズ大好きだと思ってた紘シローが6年になるころ、プレ紫鳥線カップの頃、練習は行くのに帰宅後は不機嫌。どうしたの?と聞いても別に…と言いながら当たり散らす…。辞めたいと言うんじゃ無いかと夫婦で心配しました。けど、ファイターズの仲間に支えてもらい、気づけばまた、ファイターズ大好き!サッカー好きな紘シローに。

児玉監督、紘シローを育てて頂きありがとうございました。小松原さん(12歳の体で体当たりで抱きついていましたね汗)田中さん、6年保護者パパさんたち、沢山、沢山可愛がっていただきありがとうございました。
倉田さん、久住さん、紘シローの良いところを、拾っていただき本当に本当にありがとうございました。足りないところばかり、目がいってしまい、頑張れ‼️と叱咤ばかりでしたが、良いとこもあるんだと、気づかせてもらいました。
まだ紘シローのサッカーは続きますがファイターズでお世話になり、頑張った事を忘れず、それを土台にして母の、「だから頑張れ」に負けず、これからも元気に大きくなって欲しいと思っています。
ファイターズに入部して本当に良かった。感謝でいっぱいです。

押田紘之朗 (母  押田咲)

 

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2016年

1月

06日

アッキー!ファイターズライフ!

 

篤希は4年の進級と共にファイターズに入りました。

 

それ以前からずっと入りたいとは言っていたのですが、私の都合で兄の卒団まで待たせてしまいました。(ごめんね…(T_T)/~~~

 

そんな事で満を持しての入部!兄の付き添いで既にメンバーと交流していた事もあり、すぐに楽しいファイターズライフが始まりました。

 

この学年では二人目のアツキ。《アッキー》と呼び名をつけてもらい本人も道具にアッキーと書いてというほどお気に入りのニックネームでした。

 

サッカーは好きでも、まだまだルールもあやふや…技術もない(-_-;)

 

そんなアッキーでしたが、ある日突然の転機が!しんきんカップ県大会への予選という大変な大舞台でまさかのキーパー指名!経験はほんーのちょっぴり…

 

本人もすっごいドキドキしたでしょうが、見てる私の心臓も凄いことになってました。

 

アッキーはどうすればいいのか解らず監督達の手を上げろ、下ろせ。前に出ろ下がれの声を聴くのが精一杯。そんな頼りないキーパーでしたが、その分フィールドの皆が頑張ってくれてなんとか県大会進出が決まった時は涙涙でした。

 

その時からキーパーとして約三年間頑張ってきましたが、いよいよ卒団が間近に。良いチームメイトに恵まれ、力いっぱい応援してくれる最高の保護者さん達に恵まれアッキーは幸せだなぁ!(^^)!皆さん三年間ありがとうございました!

 

そして、監督はじめコーチの皆さんありがとうございました!中学に上がり部活動でサッカーを続けていきますがアッキーのサッカーは監督達に指導してもっらた事が元になって始まってます。教えていただいた事を忘れずに活かしていってもらいたいです。

 

弟がもう二年ファイターズに居るので、たまに連れてきちゃおうと思っています。その時は少し成長したアッキーを見せられるかな?

 

三年間お世話になりました!ありがとうございました!

 

 

 

中澤篤希の母、寛子

 

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2015年

12月

22日

「ファイターズに感謝!!」

 

 隼は小さい頃から、兄の涼の後を追いかけてばかりいる子供でした。

 

サッカーを始めたのも涼がサッカーしていたから。

 

ファイターズに入団したのも涼が10期生の執拗な?勧誘を受け入団を決めたからでした。

 

そんなきっかけで札幌から転校してきた3年生の11月からファイターズにお世話になることになりました。

 

札幌では試合に出たことのない隼は入団当初はただ立ち尽くすばかりでボールにさえ触ることもできない様な状態でした。余程悔しかったのか、暇さえあればリフティングの練習や家の中でボールを転がす毎日が始まりました。

 

 4年生の頃は異人池カップ悔し涙の準優勝!Teny杯での予選突破、そして笑顔のしんきんカップ予選突破に県大会出場と隼にとってもサッカーの楽しさを知った最高の1年間を過ごすことができました。

 

 5年生の時は精神的に成長した1年でした。夏までは求められる役割に隼もどうしてよいのかわからず悩んでばかりいました。一番のピークが7月の南浜交流戦でした。

 

浜浦との試合後に涙をこらえる隼をみて「泣くことも大事だよ」と声を掛けるとみんなには見えない場所で大泣きしたことを覚えています。その後からは何か吹っ切れたようにプレーする姿をみて自分なりの解決方法を見につけたのかなと感じました。

 

 6年生ではファイターズの仲間との絆を深めた1年でした。我が家に遊びにくるのはいつもファイターズ!サッカーでも学校でもいつも一緒で絆を深めていたようです。

 

 そのかいあってか?少年少女ベスト8や絆カップ準優勝、寺泊合宿や栃木遠征と笑顔が絶えない1年でした。でも全少では1発の恐さと大切さを学んだと思います。

 

 卒団後は皆それぞれの道を歩んで行くことになりますが悩むときや苦しい時は・ファイターズで教えて頂いたことを思い出して頑張って欲しいです。

 

 隼も上山中学校サッカー部で兄のなし得なかった北信越出場目指してサッカーを続けるようです。

 

 時には暖かく時には厳しくご指導頂いた児玉監督大変ありがとうございました。

 

ファイターズ運営に御尽力頂いた古俣代表、野上さん、小山さん、倉田総監督、小松原コーチ、ボランティアスタッフ、保護者コーチのみなさん大変ありがとうございました。

 

 そして最後に沢山の思い出を頂いた保護者とファイターズの子供達、本当にありがとう。

 

横田 隼の父(智之)・母(なほ美)より

 

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2015年

12月

22日

みなさんのおかげです

 

暖人がサッカーを始めたのは3年生の夏、同じクラスだった瑞にファイターズに誘われたのがきっかけでした。練習体験に参加したとき子供たちのレベルの高さに暖人よりも親のほうが危機感を覚えたのを今でも忘れられません。当時は本当にへたくそで試合に出ても勢いだけのド素人といった感じでしたが4年5年と成長していくにつれて技術、そして頭も彼なりに成長できたと思います。これも児玉監督に厳しく教え、指導して頂いたおかげだと思います。また、古俣代表、倉田総監督、小山GM、小松原コーチ、久住コーチ、ご指導して頂いた方は数えきれなくただただ感謝、鳥屋野ファイターズで教わった沢山の事やチームとの思い出がこれからの彼のサッカーの礎になり活躍してくれると期待して行きたいと思います、本当にありがとうございました。そして保護者の皆様、6年生の皆、楽しく幸せな時間をありがとうございました。

 

伊藤 暖人父(麗)

 

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2015年

12月

22日

ありがとうございました。

 

なつみが「サッカーをしたい」と言い始めたころ、小学校時代ペガサスでお世話になった二男がまだ高校で野球をしていて、親はなつみを連れての二男の追っかけをやっていて、真剣になつみの話を聞かずにいました。

 

保育園のころは一応女の子らしい子でしたので、そのうち、「サッカーをしたい」、なんて言わなくなるのだろうと思っていましたが・・・・・甘かった。

 

 

 

娘さんがサッカーをしているという知り合いに聞いてみると五十嵐ガールズと言うチームがあるとのことで体験に行きました。ところがその五十嵐ガールズで「うちのチームの子たちは全員4種のチームにも所属しているので、なつみも所属してください。」といわれました。

 

 

 

それが鳥屋野ファイターズとの出会いでした。3年生の初めだったと思います。

 

 

 

体験の時にはかずねさんがとても自然な形でストレッチなどで一緒に組んでくださり、とても安心した日がとても懐かしいです。

 

 

 

天地人の加藤清史郎のように「こんなところ来とうはなかった。」的な事を言っているころもありました。しかし、児玉監督や小松原コーチ、小山コーチ、倉田総監督を始めとする大勢のコーチの方々に時には厳しく、時には優しく指導していただき、どんどんファイターズは居心地のいい場所となり、大好きな自分のチームとなっていきました。チームメートの皆さんのお蔭で、学年が上がるにつれて、傍から見ても、どんどんファイターズが楽しく、サッカーが好きなっていくのが分かりました。鳥屋野小学校でもファイターズの仲間が多く、上級生、同年代、下級生に友達も増え、学校生活も楽しそうでした。また、親の私たちは代表や監督、コーチ、保護者の皆さんの子供たちやサッカーへの思いを知るにつけ、ファイターズの素晴らしさを感じました。

 

 

 

一人でいることも多く、きっと多くの方々にご心配をおかけしたことと思います。練習や試合から帰って来るとあんなこと、こんなことがあったと話してくれ、親の私たちには見えないつながりが多くあるのだとそのたびにチームメートに感謝、感謝でした。

 

 

 

野上監督、古俣代表にも本当にお世話になりました。紫鳥線ガールズの活動に参加させていただき、サッカーを心から楽しませていただき、また、少し自信つけていただき、これからもサッカーを続けていきたいという気持ちにつながっていると思います。

 

 

 

保護者の方々にも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。女子の活動も多く、わがままをいう場面が多々ありました。文句を言われても当然な場面でもいつも暖かい言葉をかけていただきました。本当にありがとうございました。

 

 

 

最後になりますが、6年生の皆さんの、また、これからのファイターズの皆さんのこれから活躍を祈っています。

 

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

                         長谷川 父、母

 

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2015年

12月

18日

「ありがとうございました。」

 晴太にとってファイターズのメンバーとして過ごさせていただいた日々(4年と少し)は、大変貴重な時間でした。
 自己表現が苦手で、なかなか自分を上手く表現出来なかった息子。。。でも、サッカーと出会い、ファイターズの様々な方と出会い、サッカーが何より好きになり、練習、試合と多くの経験をさせていただくことで‘‘ 心‘‘が強くなりました。自分アピールはまだまだですが。。。いつか殻を破ってほしいな。。。
 これからも晴太は、サッカーを続けたい!!と言っています。本人が納得いくまでサッカーそして自分と向き合ってほしいと願っています。親はただただ応援するのみ!!
 最後になりましたが、鳥屋野ファイターズに関わる皆々様、大変お世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

稲田晴太の母 理佳子

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2015年

12月

18日

鳥屋野ファイターズ関係者様

 この度、長らくお世話になりました、鳥屋野ファイターズを無事卒団させていただきます。
 登夢、想人、そして、啓心、竜二、田中家4兄弟皆様に可愛がっていただき、ありがとうございました。
啓心が小学2年生の夏に、再び鳥屋野ファイターズにお世話になることになりました。バレーボールをしていた啓心が兄弟の影響か、サッカーをしたいと言ったことから始まります。当時バレーの監督から、「お前は何も続けることができない人間になる」と言われても、「サッカーをやりたい」という気持ちを持ち、小学6年まで、そして、これからもサッカーを続けていこうと成長した啓心になりました。田中家の末っ子のためか、甘えん坊で、天真爛漫(?)で恥ずかしがり屋で、田中竜二がいつもついてくると信じている啓心です。どれだけ皆様にご迷惑をおかけしたことか、この場をお借りして、お詫びします。本当にすみませんでした。そして、違う小学校からの啓心を受け入れていただきありがとうございました。啓心の夢は「上山中学校に入学する事」でした。バカな啓心らしいと思いますが、いま、上山には行けないことを理解しています。
 最後に、卒団を迎えましたが、まだ、誰かしらがこれからも何かとお世話になることがあると思います。その時は宜しくお願い致します。

追伸
 K監督、Kコーチ、私のことを“マタギ”と呼ばないでくださいね。
 名前で呼んでくださいね!

田中 啓心母  田中由香

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2015年

12月

18日

『2年半ありがとうございました!』

 ユニフォームの背番号が一番大きい数字の佐藤康太郎です。
 サッカーが好きの私とは対照的にサッカーに全く興味を示さなかった康太郎が、突然「サッカーやってみたい」と言い出した4年生の秋。
 「しんきんカップ」での真剣勝負を見学したところからファイターズとしての日々がスタートしました。

鉛筆と箸は左利き、野球は右投げ右打ち。では利き足は?そんなことすらわからずはじめたサッカーで最初のポジションは「空いているから」ということで左サイドバックになりました。
 当然、クロスを入れるには左足で蹴らなければならず四苦八苦の毎日。それでようやく自分の利き足が右であることに気づいたくらい、0からのスタートでした。自由自在にプレーするチームメイト、そういった子達を指導してきた監督・コーチの皆さんからするとどれだけ足手まといの新入りだったか…。

 親としては「子どものプレーに一切口を出さないこと」と、
「“サッカーは楽しい”という気持ちを持ち続けてもらえるように」ということを思いながら見守ってきました。
「やる以上は、勝ち負けは重要」という意見が多いのは承知していますが、小学生のこの時期、結果より大切な「サッカーに取り組む姿勢」であったり、「チームメイトを思いやる心」であったり、そんな部分を磨いていってほしいという願いを込め見つづけていました。

 入団から2年半。
仕事が忙しく練習や試合にはなかなか行くことができなかったですが、
それでも見る度に上達具合がわかるほど、(下手なりに)うまくなっていました。
家でファイターズの話しを一切しなかった康太郎が、ここ数ヶ月くらいは自分から話すようになり、興味のなかったはずのJリーグや海外サッカーの話しを質問してきたり。喜び勇んで練習に出かけていく自転車の後姿を見るたび、ファイターズとサッカーが楽しいんだな、と安心しながら見送っていました。
そしてそれもひとえに、根気強く指導してくださった監督、コーチ、支えてくれたチームメイトの皆さんのおかげだと思っています。

本当にありがとうございました!


佐藤康太郎 父

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2015年

12月

10日

「6年間お世話になりました」

瑞の兄が先にファイターズにお世話になっていたこともあり、瑞自身何の疑問も持たずに        
1年生の春からファイターズに入部させていただきました。        
 保育園のころはどちらかというと家の中で遊ぶインドア派のイメージを持っていましたが、        
サッカーを始めるようになり暗くなるまで外でボールを追いかけていたのを思い出します。        
        
 低学年のころは弟特有の要領の良さでやる前からあれは出来る、これは出来ない…と 

自分で天井を決めあきらめていた感がありましたが、この頃は児玉監督の言葉・練習の厳しさ・        
試合の楽しさを通じてとりあえず行動(トライ)してみる、その結果が後からついてくる、といった        
気持ち(態度)に変わり表情も明るくなったように感じています。        
        
 このブログを機に以前の試合のDVDを見てみましたが今とは別人!? ぽっちゃりしてました。        
プレーも細かいフェイントなど皆無の重戦車。目の前の相手はなぎ倒し(相手のチームごめん        
なさい)、ハーフを超えたらヤマト砲発射!!!(空砲多数あり)        
今流行のラグビーを見てるみたいでした…。        
        
 それでも入部から6年間キャプテンをさせてもらい、自己中心的なプレーから人も生きて        
自分も生きるといったチームプレーに変わっていったように思えます。(親ばか)        
        
 来年より瑞は一人違うチームに行くこととなりますが、瑞自身が決めたこと。        
ファイターズで6年間体験し学んだことを胸に頑張ってほしいと思っています。        
        
 最後になりますが児玉監督をはじめ古俣代表、倉田監督、小松原コーチ、多数のコーチ陣        
のみなさん、お忙しいなかご指導して下さり本当に有難うございました。        
 そして6年生のみんな、保護者のみなさん、本当にお世話になりました。        
 今後のファイターズの益々の発展を祈念し応援しています。        
        
 楽しい時間を有難うございました。        
        
        
本間 瑞父(純)        

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2015年

12月

10日

「あっという間の6年間」

ファイターズの皆様、いつも大変にお世話になっております。
1年生から入団して、当初の監督より「ゴールキーパー」として指名されてから
6年間頑張って来ました。
児玉監督の日々熱いご指導のもと、心が折れそうな時もありましたが皆様に支えられ、本人も負けじ魂を燃やしてやり抜きました。
そのおかげで技術面ではまだまだ未熟ですが、精神面では大きく成長出来たと思います。
このような機会を与えて下さったスタッフの皆さま、本当に感謝しております。ありがとうございました。
 ファイターズのメンバーとして活動出来るのもあとわずかですが、「金 」の思い出を胸に、これからもいろんな事に挑戦し、勇気を持って頑張って欲しいと思います。

鈴木 将人の母   鈴木 泉

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2016年

2月

08日

13期生 卒団コメント

3年生の時にファイターズに入りました。女子のチームにも入っていてファイターズの練習や試合に行けないこともありました。迷惑をかけたこともあったと思いますが、児玉監督はいつも理解してもらって感謝しています。
児玉監督や小松原コーチや倉田監督、久住コーチ、まさるコーチから練習中にやりかたや、どうしたらいいかなど色々なことを教えてもらいました。どういうところが特にいいかなどほめてもらうこともありました。こんなに教えてもらうのだから、うまくなるようにがんばろうと思うようになりました。今、私が前より上達して、それにサッカーをしていられるのは監督やコーチたちのお蔭だと思うので感謝の代わりにサッカーが上手になるようにこれからもがんばりたいです。

5年生以下のみなさんこれからも一生懸命に練習し、楽しくサッカーをしてください。

                               長谷川 夏実


僕はこの6年間ファイターズのキーパーとしてやり続けて来ました。
最初は1人で辛かったけど、4年の時にアッキー(中澤くん)がキーパーを引き受けてくれて、
良きライバルとして頑張る事が出来ました。
中学ではキーパーだけではなくフィールドも挑戦して行きたいです
下級生の皆さんも優勝を目指して頑張ってください。
児玉監督やコーチの皆様、
ありがとうございました。

                           鈴木 将人


僕が中学の目標は、攻守の切り替えや判断を速くして、攻撃も守備もできるような選手になることです。小学校では攻守の切り替えが遅く、ディフェンスが少し遅れていました。それと判断も遅く、パスの出しどころに迷い、ボールを取られることもありました。この二つのことを克服してスタメンになり、大会でもいい成績を残したいです。

ファイターズの後輩達は日々練習に真剣に取り組み、大会でいい成績を残せるよう、頑張ってください。

                                   諸橋 知音
ファイターズで頑張ったこと。

ぼくは、ファイターズで1対1の勝負では負けない事を自分の長所として、がんばりました。
 ぼくが一番心に残っている試合は、4年のときの上山カップです。その試合は初めての試合で、スタメンに選ばれてドキドキしました。試合はあっけなく負けて12チーム中、11位でした。だから、1年後の上山カップでは、『優勝』を目指しました。でも、決勝で、女池に敗れ、ものすごいショックでした。それも一点差で負けてしまいました。6年生になっても、一点差、一点差と、たった「一点」で負けることが多く、くやしかったです。でも、これが自分の実力だと思うと何か変えなきゃいけないと思いました。いろいろと努力しようと思ったけど、一つも続けられませんでした。だから、中学では足もとやシュートの決定率をあげたいので、時間があいたら、コツコツ足もとの練習をしたいです。そしてぜったい勝つという気持ちをもって、練習をがんばりたいです。
                                   押田紘之朗

 

中学での目標は、体力のUPとパス・シュートの精度のレベルUPを目指します。
ファイターズに残る後輩たちへ・・・
どの学年も試合が増えてくるので、一試合一試合悔いを残さないよう全力で頑張ってください。また練習では、個人のスキルアップも頑張ってください。
残りのファイターズ人生を一生懸命楽しんでください。
最後にお世話になった児玉監督はじめコーチの方々今まで本当にありがとうございました。
これからも頑張ってください。
ぼくは中学へ行ってもサッカーを続け、精一杯頑張ります。
                                 稲田晴太


僕は、中学生になったら、AFC94というチームに入ります。 AFCでの目標があります。
その目標は1学年上のレギュラーになることです。AFCに入ったらすべてが最初からになるので練習の時からしっかり声を出したり、基本練習を真面目に取り組んでアピールをしたいです。
 1から5年生は学年が1つあがりますね。自分の力を出して自分の目標に向かって頑張ってください。特に5年生はファイターズのトップになるのでファイターズを仕切って頑張ってください。
伊藤 暖人
僕は中学生になったら、サッカー部に入ります。ファイターズで練習をしたことや、試合での経験を生かして、頑張ります。もっと体力をつけて、積極的にシュートを決めたいです。ファイターズの1、2年生は、監督コーチのいう事をよく聞いて頑張って下さい。3、4年生は、公式戦も多くなるので、頑張って下さい。5年生は、基礎を忘れず、技術面も頑張って下さい。ベンチの人も、声を出して応援して下さい。僕は、ファイターズに入って、体力もついて、楽しい事が多かったです。成長出来ました。ありがとうございました。
                                  水田 重輝

 

6年間サッカーをやってきて後悔した事は逆足が利き脚のようにボールを蹴れなかった事と、大事な全少で初戦敗退した事です。
中学では逆足の練習を頑張ってやりたいと思います。
在校生のみなさんはサッカーを楽しみながら練習では集中して、全少や他の試合で勝てるように頑張って下さい。
 
                                                    本間 瑞


ぼくは4年生の終わりにファイターズに入りました。
4年生の時の自分と今の自分はぜんぜん違います。4年の時はみんなとの力の差を感じていました。その時から少しあきらめていたと思います。
5、6年生は練習や自主練習をかさねていったら自信がついていき、『もう無理💧』という言葉をあまり言わなくなりました。
後輩たちに伝えたいことは努力すること、自信をもってやることが大切だと思います。
これからも大会、練習などに全力でプレーしてください。本気でやればやるほど強くなります。大会は優勝めざしてがんばってください!
児玉監督や小松原さん、倉田監督練習をみてくれてありがとうございました。

 仲川怜

 

 


中学生に向けての抱負や決意
 
 ぼくは、中学校でのサッカーは部活に入ると思います。
 上中サッカー部は体力づくりなどがすごく厳しいと聞いています。
 でもぼくは、とちゅうであきらめずにひとつひとつ一生懸命がんばろうと思います。
 ぼくの目標は自信を持つことです。自信に満ちあふれる人は何事も自分を信じて
 まっすぐ進むことができます。
 自信をつけるには、日々の練習をしっかりやっていけばだんだんと自信がついてくると
 思います。なので中学でのサッカーは日々の練習をしっかりがんばりたいと思います。

後輩に向けてメッセージ

 5年生(新6年生)はファイターズの最高学年として、低学年の子たちを引っ張って
 いってほしいです。
 4年生(新5年生)は最高学年を支えるようがんばってください。
 3年生(新4年生)はしんきんカップがんばってください。
 2・1年生(新3年生・新2年生)は最高学年の言うことをよく聞いてがんばって
 ください。
                                  御園 大智


【中学生に向けての決意】
僕は中学生になったらサッカーと勉強を両立して
自分の納得する結果を残したいです。
また苦手な足で正確なパスを出せるように頑張りたいと思います。

【下級生の皆さんへ】
楽しく悔いのないサッカーをして下さい。

【監督、コーチの皆さんへ】
ファイターズに入って監督やコーチにとてもお世話になりました。
ファイターズで学んだ事を中学生になっても活かしていきたいです。
本当にありがとうございました。
佐藤康太郎 


中学では、ずばり!
「体力づくり」 「ロングボールを蹴れること」 「フィジカルで負けない」
この三つを誰よりも負けないぐらい努力して、身に付けて中学のスタメンをとります!
下級生の皆さんへ・・・
新2年生→基礎を身に付けて、頑張って下さい
新3年生→中学年になるので、1.2年生を引っ張ってください。              
新4年生→試合が多くなるので頑張って下さい。
新5年生→新六年生のサポートを、よろしくお願いします。
新6年生→最高学年として、みんなの模範になって下さい。
最後に僕にサッカーを教えて下さった児玉監督、コーチ陣の皆様ありがとうございました。
横田 隼


       
中学での目標 
クラブチームに入団が決まりました。そのクラブチームに入団した人はみんな強くて 
ぼくではかなわないと思います。だけど僕は練習を人一倍がんばってスタメンを 
取ります。 
 
鳥屋野ファイターズ 在団生へ 
新6年生は全少や東北電力ではいい成績を残して下さい。 
他学年も大会などでは良い成績を残して下さい。これからも学年ごとにがんばって下さい。
新6年生は今年で鳥屋野ファイターズでのサッカーが最後なので悔いの残らないように 
一年間がんばって下さい。
                                 田中啓心

 

僕は、中学でサッカーを続けます。皆さんは一点の重さを大切にしましょう。
中学に行ったら、スタメンをとれるように頑張ります。
                                 中澤 篤希

 

 

4年の10月ごろにファイターズに入ってから、今日までの約2年間、ファイターズではサッカーのことやそれ以外のことまで多くのことを学ばせて頂きました。ここまで成長出来たのも監督やコーチ、そして保護者の方々のおかげです。本当に感謝しています。
僕は中学へ行ってもサッカーを続けます。中学のサッカーでもファイターズで学んだことを生かしていきたいです 。
最後に監督、コーチ、保護者の皆さんには約2年間本当にお世話になりました。今までありがとうござ。
そして、1~5年生へ
学年が上がってレベルも少しずつ上がっていくと思いますが、5年生はファイターズのトップとして、4年生は5年生のサポートなどを頑張って下さい。1~3年生は日々の練習などを頑張って下さい。
                                                                 阿部 真大             

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2016年

1月

14日

「ありがとう、鳥屋野ファイターズ」

 

怜は4年生の10月からファイターズに入団しました。2年生くらいから学校の休み時間にサッカーをしていて興味があったようで、3年生の春に1年生の時から仲の良い真大(まなと)と一緒にリベルタサッカースクールに入りました。

 

スクールで物足りなくなった頃、友達の勧めもあって真大と一緒にファイターズの体験に行きました。

 

行ってみたらいつも一緒にサッカーをしている仲間が笑顔で出迎えてくれ、すぐに入団を決めました。保護者の方々も何もわからない不安いっぱいの私たちに分かりやすく説明していただき、とても安心したのを覚えています。

 

5年生の初めての夏ではあまりの暑さにバテバテ…..。熱中症を心配していましたが予感的中。大事な試合で気分が悪くなってしまった事もありました。

 

そんな中、くやしくて気分が落ち込んだりしたこともありましたが、仲間の励ましで乗り越えることができました。ここまで続けてこれたのも6年生のメンバーのおかげだと感謝しています。

 

怜はファイターズの一員となりサッカーを通じて心身ともに成長させていただいたと思いますし、私たち家族もとってもにいろんな事を経験できた2年半になったと思います。

 

中学へ行ってもサッカーを続ける事を決めている怜。監督、コーチの方々からの指導で学んだことを胸にこれからもがんばってほしいと思います。

 

最後に、児玉監督はじめ小俣代表、倉田監督、小松原コーチ、小山クラブマネージャー、その他多数のコーチ陣の皆様、お忙しい中指導していただきありがとうございました。

 

そして保護者の皆様本当にお世話になりました。鳥屋野ファイターズ関係者に感謝!!ありがとうございました。

 

 

 

仲川怜の母 美代子

 

 

 

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2016年

1月

14日

ありがとうございました!

 

真大は鳥屋野ファイターズに

4年生の10月に入団しました。

 

3年生の時サッカーをさせたくて、学童ひまわりからの友達の怜君と一緒にサッカースクールに通わせていましたが、サッカースクールのサッカーに物足りないものを感じ始め突然、「スクールやめたい」っていい始め「ファイターズ行きたい」って言われて、

 

私が悩んでいたら、怜君母に

 

「ファイターズ行かせてみよう」って背中を押してもらい

 

怜君、真大一緒の入団でした

 

 

ファイターズに入ってから

 

児玉監督の厳しい熱い指導のおかげでどんどんサッカーも上達し、数々の大会など活躍の場を頂きとても感謝しております。ありがとうございました。

 

小松原コーチ真大を優しく見守って頂きありがとうございました。

 

古俣代表、倉田監督、的確な

 

アドバイスをありがとうございました。

 

「コウジ、コウジ」と可愛いがって頂いたコーチの皆様

 

ありがとうございました。

 

小山理事スポ振のランニング行事では大変お世話になりました。

 

ありがとうございました。

 

U-12の保護者の皆様

 

私達親子に沢山の励ましと

 

支えくれたり、助けてもらいありがとうございました。

 

お世話になりました。

 

U-1214名の仲間達と真大

 

沢山の思い出ありがとう。

 

ファイターズの益々の活躍を

 

祈願します。

 

(阿部真大の母和美より)

 

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2016年

1月

14日

「ありがとうございました」

 

知音は、4年生で鳥屋野小学校に転校し、「新潟では、同じ学校の友達と一緒にサッカーがしたい」と本人が希望し、ファイターズに入部しました。

 

三年間の活動の中では楽しいことばかりではありませんでしたが、転校生だったことを忘れるくらい、心を許せる友達も沢山出来、サッカーを通して心も体も大きく成長出来た三年間でした。

 

入部当初は、どちらかというと子供っぽく、のんびりとした性格の知音でしたが、ある日「試合には出せない」と監督に言われ、泣きながら帰ってきたことがありました。技術的にも、向き合い方も足りなかったのだと思います。初めて見る知音の悔し涙で、どういう言葉をかければよいか迷いましたが、「頑張ってダメだったなら分かるけど、まだ何も努力してないのに悔しいと思うのは違うよ」と話しました。5年生になる少し前の冬の寒い日でしたが、次の日から毎朝公園で朝練をするようになりました。今思えば、あれが、知音が変わるきっかけだったと思います。まだまだ努力も足りなくて、どこか甘いところがありますが、「強くなりたい」「負けたくない」という気持ちが芽生え、顔つきも少し違ってきたように思います。56年では怪我も多く、本人にとって思うようにいかない事も沢山あったと思いますが、監督・コーチ陣には、根気よく見守り、指導していただいたと思います。

 

くじけそうになっている時も親以上に親身になり、ケアしてくれたパパコーチ、一緒に見守ってきた保護者のみなさまには心から感謝しています。

 

そして、一緒に活動してきたファイターズの6年生には「よく頑張ったね」と言ってあげたいです。私自身は、間近で子供たちの頑張っている姿を見ることができてすごく楽しかったです。

 

 

 

三年間どうもありがとうございました。

 

 

 

知音母 諸橋 環

 

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2016年

1月

06日

大好きなファイターズ

 

大智は4年生の6月に入部しました。

 

実は2年生の時ファビオで下積みする中で、サッカー好きな両親はチームに入れたいと思い、3年生で保育園から一緒の暖人と体験しました。

 

暖人はすぐ入部。大智はファビオが楽しいからファイターズは4年生になったら入ると・・・

 

1年後の4年生で入部することになったのです。

 

今思えばこの1年の差は大きく、3年生のあの時、暖人と入部していれば今頃Bチームあたりにいたのかも(笑)と悔やまれますが、その頃続々と他の子も入部してきたため、すぐにみんなと仲良くなり、親も子も自然にファイターズの輪の中に入ることができました。

 

 

 

なかなか試合に出してもらえず、悔しい思いもした約3年間でしたが、持ち前の粘り強さと真面目な性格でコツコツと努力し、主に右サイドバックとしてたまに起用してもらえるようになりました。

 

トップチームの今年はずいぶん持久力がつき、ファイターズ以外でも陸上の長距離選手に選ばれたり成長が見られ、本人も自信がついたように思います。

 

 

 

そしてもう1つ大きな収穫!

 

親同士の繋がりも深くなり、毎週末ファイターズに明け暮れ、時には夜な夜な美味しいお酒とおしゃべりを堪能し充実した生活を送ることができました。

 

ファイターズ最高です!!

 

 

 

厳しくも真剣に子供たちと向き合いご指導いただきました児玉監督、なっちゃんネタでいじってヘタレな大智をいつも気にかけ声をかけてくださった倉田監督、ファイターズ全体をいつも温かく見守り、楽しい雰囲気を作ってくださる古俣代表、ボランティアスタッフ、コーチの皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

我が家にはまだ下に海翔という次男坊がいますので、これからもいろいろお世話になるかと思いますがよろしくお願いいたします。

 

 

 

  御園大智の母 御園美保

 

 

 

に続きまして、

父 御園武史より。

 

ファイターズ6年生のみなさん卒団おめでとう。

 

大智4年生からの入団でしたので3年という短い間でしたが、みなさんとの思い出がたくさんありすぎてなかなか言葉になりません。

 

入団当初は「おいおい、うるせー父ちゃん入ってきちゃったぞ」って感じだったと思いますが、文句も言わず付き合ってくれてありがとう。

 

ファイターズの一員になれたことは、大智にとっても、また私たち家族にとっても本当に貴重な宝となりました。

 

みなさんもこれから進む道がそれぞれ違っても、ファイターズの仲間だったことを誇りに思い、これからを頑張っていってくださいね。

 

児玉監督をはじめ、スタッフ、コーチの皆様、本当にありがとうございました。

 

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2016年

1月

06日

卒団ブログ

4年の5月より、入部⚽️初めての試合は上山カップだったかな。入部してからずうっっっっと、もっと頑張れ、もっと頑張ってよといい続けた気がします。でも、紘シローは頑張ってたんだよね。どんな時も休まず「行ってくるね」と練習に試合に積極的に参加した事は本当に偉かったと、親バカながら思います。宿泊先から、「やっぱり日曜練習行きたい!!」と朝食そこそこに、体育館練習に行った事もありました。そんなファイターズ大好きだと思ってた紘シローが6年になるころ、プレ紫鳥線カップの頃、練習は行くのに帰宅後は不機嫌。どうしたの?と聞いても別に…と言いながら当たり散らす…。辞めたいと言うんじゃ無いかと夫婦で心配しました。けど、ファイターズの仲間に支えてもらい、気づけばまた、ファイターズ大好き!サッカー好きな紘シローに。

児玉監督、紘シローを育てて頂きありがとうございました。小松原さん(12歳の体で体当たりで抱きついていましたね汗)田中さん、6年保護者パパさんたち、沢山、沢山可愛がっていただきありがとうございました。
倉田さん、久住さん、紘シローの良いところを、拾っていただき本当に本当にありがとうございました。足りないところばかり、目がいってしまい、頑張れ‼️と叱咤ばかりでしたが、良いとこもあるんだと、気づかせてもらいました。
まだ紘シローのサッカーは続きますがファイターズでお世話になり、頑張った事を忘れず、それを土台にして母の、「だから頑張れ」に負けず、これからも元気に大きくなって欲しいと思っています。
ファイターズに入部して本当に良かった。感謝でいっぱいです。

押田紘之朗 (母  押田咲)

 

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2016年

1月

06日

アッキー!ファイターズライフ!

 

篤希は4年の進級と共にファイターズに入りました。

 

それ以前からずっと入りたいとは言っていたのですが、私の都合で兄の卒団まで待たせてしまいました。(ごめんね…(T_T)/~~~

 

そんな事で満を持しての入部!兄の付き添いで既にメンバーと交流していた事もあり、すぐに楽しいファイターズライフが始まりました。

 

この学年では二人目のアツキ。《アッキー》と呼び名をつけてもらい本人も道具にアッキーと書いてというほどお気に入りのニックネームでした。

 

サッカーは好きでも、まだまだルールもあやふや…技術もない(-_-;)

 

そんなアッキーでしたが、ある日突然の転機が!しんきんカップ県大会への予選という大変な大舞台でまさかのキーパー指名!経験はほんーのちょっぴり…

 

本人もすっごいドキドキしたでしょうが、見てる私の心臓も凄いことになってました。

 

アッキーはどうすればいいのか解らず監督達の手を上げろ、下ろせ。前に出ろ下がれの声を聴くのが精一杯。そんな頼りないキーパーでしたが、その分フィールドの皆が頑張ってくれてなんとか県大会進出が決まった時は涙涙でした。

 

その時からキーパーとして約三年間頑張ってきましたが、いよいよ卒団が間近に。良いチームメイトに恵まれ、力いっぱい応援してくれる最高の保護者さん達に恵まれアッキーは幸せだなぁ!(^^)!皆さん三年間ありがとうございました!

 

そして、監督はじめコーチの皆さんありがとうございました!中学に上がり部活動でサッカーを続けていきますがアッキーのサッカーは監督達に指導してもっらた事が元になって始まってます。教えていただいた事を忘れずに活かしていってもらいたいです。

 

弟がもう二年ファイターズに居るので、たまに連れてきちゃおうと思っています。その時は少し成長したアッキーを見せられるかな?

 

三年間お世話になりました!ありがとうございました!

 

 

 

中澤篤希の母、寛子

 

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2015年

12月

22日

「ファイターズに感謝!!」

 

 隼は小さい頃から、兄の涼の後を追いかけてばかりいる子供でした。

 

サッカーを始めたのも涼がサッカーしていたから。

 

ファイターズに入団したのも涼が10期生の執拗な?勧誘を受け入団を決めたからでした。

 

そんなきっかけで札幌から転校してきた3年生の11月からファイターズにお世話になることになりました。

 

札幌では試合に出たことのない隼は入団当初はただ立ち尽くすばかりでボールにさえ触ることもできない様な状態でした。余程悔しかったのか、暇さえあればリフティングの練習や家の中でボールを転がす毎日が始まりました。

 

 4年生の頃は異人池カップ悔し涙の準優勝!Teny杯での予選突破、そして笑顔のしんきんカップ予選突破に県大会出場と隼にとってもサッカーの楽しさを知った最高の1年間を過ごすことができました。

 

 5年生の時は精神的に成長した1年でした。夏までは求められる役割に隼もどうしてよいのかわからず悩んでばかりいました。一番のピークが7月の南浜交流戦でした。

 

浜浦との試合後に涙をこらえる隼をみて「泣くことも大事だよ」と声を掛けるとみんなには見えない場所で大泣きしたことを覚えています。その後からは何か吹っ切れたようにプレーする姿をみて自分なりの解決方法を見につけたのかなと感じました。

 

 6年生ではファイターズの仲間との絆を深めた1年でした。我が家に遊びにくるのはいつもファイターズ!サッカーでも学校でもいつも一緒で絆を深めていたようです。

 

 そのかいあってか?少年少女ベスト8や絆カップ準優勝、寺泊合宿や栃木遠征と笑顔が絶えない1年でした。でも全少では1発の恐さと大切さを学んだと思います。

 

 卒団後は皆それぞれの道を歩んで行くことになりますが悩むときや苦しい時は・ファイターズで教えて頂いたことを思い出して頑張って欲しいです。

 

 隼も上山中学校サッカー部で兄のなし得なかった北信越出場目指してサッカーを続けるようです。

 

 時には暖かく時には厳しくご指導頂いた児玉監督大変ありがとうございました。

 

ファイターズ運営に御尽力頂いた古俣代表、野上さん、小山さん、倉田総監督、小松原コーチ、ボランティアスタッフ、保護者コーチのみなさん大変ありがとうございました。

 

 そして最後に沢山の思い出を頂いた保護者とファイターズの子供達、本当にありがとう。

 

横田 隼の父(智之)・母(なほ美)より

 

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2015年

12月

22日

みなさんのおかげです

 

暖人がサッカーを始めたのは3年生の夏、同じクラスだった瑞にファイターズに誘われたのがきっかけでした。練習体験に参加したとき子供たちのレベルの高さに暖人よりも親のほうが危機感を覚えたのを今でも忘れられません。当時は本当にへたくそで試合に出ても勢いだけのド素人といった感じでしたが4年5年と成長していくにつれて技術、そして頭も彼なりに成長できたと思います。これも児玉監督に厳しく教え、指導して頂いたおかげだと思います。また、古俣代表、倉田総監督、小山GM、小松原コーチ、久住コーチ、ご指導して頂いた方は数えきれなくただただ感謝、鳥屋野ファイターズで教わった沢山の事やチームとの思い出がこれからの彼のサッカーの礎になり活躍してくれると期待して行きたいと思います、本当にありがとうございました。そして保護者の皆様、6年生の皆、楽しく幸せな時間をありがとうございました。

 

伊藤 暖人父(麗)

 

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2015年

12月

22日

ありがとうございました。

 

なつみが「サッカーをしたい」と言い始めたころ、小学校時代ペガサスでお世話になった二男がまだ高校で野球をしていて、親はなつみを連れての二男の追っかけをやっていて、真剣になつみの話を聞かずにいました。

 

保育園のころは一応女の子らしい子でしたので、そのうち、「サッカーをしたい」、なんて言わなくなるのだろうと思っていましたが・・・・・甘かった。

 

 

 

娘さんがサッカーをしているという知り合いに聞いてみると五十嵐ガールズと言うチームがあるとのことで体験に行きました。ところがその五十嵐ガールズで「うちのチームの子たちは全員4種のチームにも所属しているので、なつみも所属してください。」といわれました。

 

 

 

それが鳥屋野ファイターズとの出会いでした。3年生の初めだったと思います。

 

 

 

体験の時にはかずねさんがとても自然な形でストレッチなどで一緒に組んでくださり、とても安心した日がとても懐かしいです。

 

 

 

天地人の加藤清史郎のように「こんなところ来とうはなかった。」的な事を言っているころもありました。しかし、児玉監督や小松原コーチ、小山コーチ、倉田総監督を始めとする大勢のコーチの方々に時には厳しく、時には優しく指導していただき、どんどんファイターズは居心地のいい場所となり、大好きな自分のチームとなっていきました。チームメートの皆さんのお蔭で、学年が上がるにつれて、傍から見ても、どんどんファイターズが楽しく、サッカーが好きなっていくのが分かりました。鳥屋野小学校でもファイターズの仲間が多く、上級生、同年代、下級生に友達も増え、学校生活も楽しそうでした。また、親の私たちは代表や監督、コーチ、保護者の皆さんの子供たちやサッカーへの思いを知るにつけ、ファイターズの素晴らしさを感じました。

 

 

 

一人でいることも多く、きっと多くの方々にご心配をおかけしたことと思います。練習や試合から帰って来るとあんなこと、こんなことがあったと話してくれ、親の私たちには見えないつながりが多くあるのだとそのたびにチームメートに感謝、感謝でした。

 

 

 

野上監督、古俣代表にも本当にお世話になりました。紫鳥線ガールズの活動に参加させていただき、サッカーを心から楽しませていただき、また、少し自信つけていただき、これからもサッカーを続けていきたいという気持ちにつながっていると思います。

 

 

 

保護者の方々にも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。女子の活動も多く、わがままをいう場面が多々ありました。文句を言われても当然な場面でもいつも暖かい言葉をかけていただきました。本当にありがとうございました。

 

 

 

最後になりますが、6年生の皆さんの、また、これからのファイターズの皆さんのこれから活躍を祈っています。

 

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

                         長谷川 父、母

 

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2015年

12月

18日

「ありがとうございました。」

 晴太にとってファイターズのメンバーとして過ごさせていただいた日々(4年と少し)は、大変貴重な時間でした。
 自己表現が苦手で、なかなか自分を上手く表現出来なかった息子。。。でも、サッカーと出会い、ファイターズの様々な方と出会い、サッカーが何より好きになり、練習、試合と多くの経験をさせていただくことで‘‘ 心‘‘が強くなりました。自分アピールはまだまだですが。。。いつか殻を破ってほしいな。。。
 これからも晴太は、サッカーを続けたい!!と言っています。本人が納得いくまでサッカーそして自分と向き合ってほしいと願っています。親はただただ応援するのみ!!
 最後になりましたが、鳥屋野ファイターズに関わる皆々様、大変お世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

稲田晴太の母 理佳子

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2015年

12月

18日

鳥屋野ファイターズ関係者様

 この度、長らくお世話になりました、鳥屋野ファイターズを無事卒団させていただきます。
 登夢、想人、そして、啓心、竜二、田中家4兄弟皆様に可愛がっていただき、ありがとうございました。
啓心が小学2年生の夏に、再び鳥屋野ファイターズにお世話になることになりました。バレーボールをしていた啓心が兄弟の影響か、サッカーをしたいと言ったことから始まります。当時バレーの監督から、「お前は何も続けることができない人間になる」と言われても、「サッカーをやりたい」という気持ちを持ち、小学6年まで、そして、これからもサッカーを続けていこうと成長した啓心になりました。田中家の末っ子のためか、甘えん坊で、天真爛漫(?)で恥ずかしがり屋で、田中竜二がいつもついてくると信じている啓心です。どれだけ皆様にご迷惑をおかけしたことか、この場をお借りして、お詫びします。本当にすみませんでした。そして、違う小学校からの啓心を受け入れていただきありがとうございました。啓心の夢は「上山中学校に入学する事」でした。バカな啓心らしいと思いますが、いま、上山には行けないことを理解しています。
 最後に、卒団を迎えましたが、まだ、誰かしらがこれからも何かとお世話になることがあると思います。その時は宜しくお願い致します。

追伸
 K監督、Kコーチ、私のことを“マタギ”と呼ばないでくださいね。
 名前で呼んでくださいね!

田中 啓心母  田中由香

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2015年

12月

18日

『2年半ありがとうございました!』

 ユニフォームの背番号が一番大きい数字の佐藤康太郎です。
 サッカーが好きの私とは対照的にサッカーに全く興味を示さなかった康太郎が、突然「サッカーやってみたい」と言い出した4年生の秋。
 「しんきんカップ」での真剣勝負を見学したところからファイターズとしての日々がスタートしました。

鉛筆と箸は左利き、野球は右投げ右打ち。では利き足は?そんなことすらわからずはじめたサッカーで最初のポジションは「空いているから」ということで左サイドバックになりました。
 当然、クロスを入れるには左足で蹴らなければならず四苦八苦の毎日。それでようやく自分の利き足が右であることに気づいたくらい、0からのスタートでした。自由自在にプレーするチームメイト、そういった子達を指導してきた監督・コーチの皆さんからするとどれだけ足手まといの新入りだったか…。

 親としては「子どものプレーに一切口を出さないこと」と、
「“サッカーは楽しい”という気持ちを持ち続けてもらえるように」ということを思いながら見守ってきました。
「やる以上は、勝ち負けは重要」という意見が多いのは承知していますが、小学生のこの時期、結果より大切な「サッカーに取り組む姿勢」であったり、「チームメイトを思いやる心」であったり、そんな部分を磨いていってほしいという願いを込め見つづけていました。

 入団から2年半。
仕事が忙しく練習や試合にはなかなか行くことができなかったですが、
それでも見る度に上達具合がわかるほど、(下手なりに)うまくなっていました。
家でファイターズの話しを一切しなかった康太郎が、ここ数ヶ月くらいは自分から話すようになり、興味のなかったはずのJリーグや海外サッカーの話しを質問してきたり。喜び勇んで練習に出かけていく自転車の後姿を見るたび、ファイターズとサッカーが楽しいんだな、と安心しながら見送っていました。
そしてそれもひとえに、根気強く指導してくださった監督、コーチ、支えてくれたチームメイトの皆さんのおかげだと思っています。

本当にありがとうございました!


佐藤康太郎 父

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2015年

12月

10日

「6年間お世話になりました」

瑞の兄が先にファイターズにお世話になっていたこともあり、瑞自身何の疑問も持たずに        
1年生の春からファイターズに入部させていただきました。        
 保育園のころはどちらかというと家の中で遊ぶインドア派のイメージを持っていましたが、        
サッカーを始めるようになり暗くなるまで外でボールを追いかけていたのを思い出します。        
        
 低学年のころは弟特有の要領の良さでやる前からあれは出来る、これは出来ない…と 

自分で天井を決めあきらめていた感がありましたが、この頃は児玉監督の言葉・練習の厳しさ・        
試合の楽しさを通じてとりあえず行動(トライ)してみる、その結果が後からついてくる、といった        
気持ち(態度)に変わり表情も明るくなったように感じています。        
        
 このブログを機に以前の試合のDVDを見てみましたが今とは別人!? ぽっちゃりしてました。        
プレーも細かいフェイントなど皆無の重戦車。目の前の相手はなぎ倒し(相手のチームごめん        
なさい)、ハーフを超えたらヤマト砲発射!!!(空砲多数あり)        
今流行のラグビーを見てるみたいでした…。        
        
 それでも入部から6年間キャプテンをさせてもらい、自己中心的なプレーから人も生きて        
自分も生きるといったチームプレーに変わっていったように思えます。(親ばか)        
        
 来年より瑞は一人違うチームに行くこととなりますが、瑞自身が決めたこと。        
ファイターズで6年間体験し学んだことを胸に頑張ってほしいと思っています。        
        
 最後になりますが児玉監督をはじめ古俣代表、倉田監督、小松原コーチ、多数のコーチ陣        
のみなさん、お忙しいなかご指導して下さり本当に有難うございました。        
 そして6年生のみんな、保護者のみなさん、本当にお世話になりました。        
 今後のファイターズの益々の発展を祈念し応援しています。        
        
 楽しい時間を有難うございました。        
        
        
本間 瑞父(純)        

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2015年

12月

10日

「あっという間の6年間」

ファイターズの皆様、いつも大変にお世話になっております。
1年生から入団して、当初の監督より「ゴールキーパー」として指名されてから
6年間頑張って来ました。
児玉監督の日々熱いご指導のもと、心が折れそうな時もありましたが皆様に支えられ、本人も負けじ魂を燃やしてやり抜きました。
そのおかげで技術面ではまだまだ未熟ですが、精神面では大きく成長出来たと思います。
このような機会を与えて下さったスタッフの皆さま、本当に感謝しております。ありがとうございました。
 ファイターズのメンバーとして活動出来るのもあとわずかですが、「金 」の思い出を胸に、これからもいろんな事に挑戦し、勇気を持って頑張って欲しいと思います。

鈴木 将人の母   鈴木 泉

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2015年

12月

10日

「ファイターズで、成長出来ました。」

重輝(あつき)は、遠方の幼稚園に通っていたため、鳥屋野小学校の入学当初は、親子共々、知っている友達が全くいませんでした。そんな中、サッカー体験のチラシをもらいました。ちょうど、サッカーに興味を持っていた事と、鳥屋野小学校で練習出来る!という事で、ファイターズの組織も何も分からないまま、「学校の部活」だと思い、すぐに体験、入団しました。主人は仕事の都合で、新潟に不在の時期で、重輝は、いつも泣くことが多く、心配ばかりしていました。
低学年の時期、指導してくださった、高橋コーチ、女性コーチの那須原さんには、重輝が甘えたり、わがままな事で、本当にお世話になりました。

2年生からは、児玉監督が指導して下さることになりました。その頃の重輝は、サッカーの試合に行っても、コート脇で泣いていたり、虫取りや遊び、けんかしたりな感じでしたが、少しずつ真面目にサッカーに取り組むようになりました。
学年が上がるにつれて、重輝は、楽しくサッカーが出来れば・・・という事から、段々と、試合に出させてもらって嬉しいこと、悔しいことを感じたようでした。気が付けば、いつの間にか、泣くこともなくなりました。

4年のしんきんカップの予選(対、女池)の、得失点差1の試合、その後の県大会は、重輝にとって、大きくサッカーへの取り組み方が変わった出来事でした。
自主的にサッカー練習するようになったり、リフティング練習、サッカーに関する本を読んだり、サッカーに関するテレビを見たりするようになりました。
様々な公式戦、TRM、色々な場所で、色々なチームとサッカーが出来た事は、重輝にとって良い経験だったと思います。又、初めての泊りがけの寺泊合宿は、心配もありましたが、重輝は楽しかったようで、成長を感じることが出来ました。夏の暑さ、冬の寒い日、親子共々で鍛えられました。貴重な濃いファイターズ生活であり、重輝は、精神的に成長できたと思います。

児玉監督は、毎試合終わるたび、試合反省点、試合での動き、癖、弱点、良い面、フォーメーション、次の課題などの話をして下さるので、親も一緒にみんなで聞き入る事が多く、チームとしてのまとまりを感じました。
そして元々、サッカー知識が少ない重輝は、児玉監督から指示をもらい、選手としても成長できたと思います。
児玉監督には、この5年間良く指導を頂き、感謝しております。又、小松原コーチ、倉田監督には、サッカーを通じて、親の私たちでは気づけない、重輝の良さを見つけてくれた事に感謝します。保護者コーチの方々、6年保護者の皆様、大変お世話になりました。いつも声を掛けてもらい、楽しく無事6年を過ごす事が出来ました。親子共々、鳥屋野ファイターズで、成長出来ました。ありがとうございました。

(水田重輝の母 水田直美)


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2015年

12月

10日

13期生卒団ブログが始まります。

13期生の保護者卒団ブログが始まります。皆さんお楽しみに・・・

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2015年

2月

09日

新潟に来て、鳥屋野ファイターズに入って良かった。

 敢太は5年生の6月に鳥屋野ファイターズ12期生15名の最後に入団しました。5年生の4月に千葉から転校して、敢太自身「新潟でもサッカーは続ける」と決めていましたが、チームを決めるまで2か月をかけ、本人が納得し希望してファイターズの扉を叩きました。
 敢太は鳥屋野小学校が3校目の小学校になります。親の転勤に伴い、1~2年生を大阪、3~4年生を千葉、そして5~6年生を新潟で迎えました。健康のためにと色々なスポーツを経験させましたが、その中でサッカーだけは小学校の6年間ずっと続けることとなりました。鳥屋野小学校に早く慣れる事が出来たのも、ファイターズのみんながいてくれたおかげです。
 小さい頃の敢太は、サッカーは好きなのですが決して積極的なプレーヤーではなく、チーム練習以外の時間に自分からサッカーボールを触るような子ではありませんでした。鳥屋野ファイターズに入ってからは、更にサッカーが好きになった様子で、家でも練習したり、試合でも自分が攻撃の起点となるにはどういうプレーが必要かと考えたりどんどんサッカーにのめり込んで行ったようです。これも一重に鳥屋野ファイターズというチームのそして12期生みんなの雰囲気の良さに影響されているものだと思います。
 小学校6年間の敢太のサッカーの集大成が、鳥屋野ファイターズで本当に良かったと思います。倉田監督、久住コーチ、布施コーチ、渋谷コーチといった指導者方に恵まれ、12期生を見守って頂いた古俣代表、野上副代表、小山さん、いつもチームのために働いて下さったタカトーさん、ヒコさん、アヤさん。皆さん本当に良くしていただいて敢太にとっても親にとっても最高のチームでした。ありがとうございました。
 12期生15名はそれぞれ性格にもプレーにも個性があって、それでいてチームとしては非常に仲が良くまとまっていて、また父母の皆さんも敢太と親をその輪にすんなり入れて下さり、新潟に不慣れな私達家族は本当に助けられました。この場を借りて皆さんにお礼申し上げます。
 敢太はこれからいつまでサッカーを続けていくか分かりませんが、鳥屋野ファイターズで皆さんと繋がったように敢太自身、大きくなっても人と人との繋がりを大事にしていって欲しいと思います。また12期生のみんなと保護者の皆さんとはこれからも末長いお付き合いをよろしくお願いいたします。
 最後に、鳥屋野ファイターズでの約2年間は、親も子もサッカーを通じて色んな事を経験させて頂きました。非常に濃い2年間を過ごせたと思います。こんな雰囲気の鳥屋野ファイターズが今後とも益々盛り上がっていく事を祈念いたします。そんな素晴らしい鳥屋野ファイターズの一員で居られたことに感謝いたします。ありがとうございました。
畑間 敢太の父 孝太郎

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2015年

2月

06日

ブログ 過去の記事の見方について

鳥屋野ファイターズHPには当月のブログしか見えないようになっております。

過去のブログをご覧になりたい方は、ページ最下部左すみ「サイトマップ」→「ブログ」よりご覧ください。

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2015年

2月

06日

みんなありがとう!

 黎がサッカーを始めたのは3年生になった時に中の良い春樹が体験入部したのがきっかけでした。6才上の黎の兄がファイターズにいて、試合などあれば連れていってましたが、サッカーなど 全く興味がないようで当時の保護者の方や選手の妹の子やボランティアスタッフの方に遊んでもらえる場所のようでした。 しかし、よくある流れで自然とサッカーを始めると思っていましたが  当時は本人は「絶対サッカーをやらない‼」 と言いきってました。当時は親としてガッカリしたのを覚えてます。それから2年間ボランティアスタッフとして お手伝いさせてもらいました。黎が「サッカーをやりたい。鳥屋野ファイターズに入りたい‼ 」と言ってくれた時は 本当に嬉しかった事を思いだします。 
 それから2回目の保護者生活がはじまりました。

黎は本当にサッカーが好きになってしまいました。
 いつも  いつもボールを蹴ってました⚽
 いつも  いつも家の中でもボールをいじってました。

 家の外壁にボールを蹴って練習していてガラスを割った事もありました・・・本当に  いっぱい練習してきました。一時は倉田さんから「練習王子」などと呼ばれた時も  ありました。しかしながら練習と本番は違うもので本人も結果がでず落ちこんでた時も多かったようです。5年生の12月の終わりに一度だけ「サッカーを辞めたい」という時期がありました。そのモヤモヤしてる時の正月に倉田さんの年賀状に「自信とプライドをもってやれ!」その言葉は本人なりに響いたようで2月に行われた、NGS杯で監督推薦の最優秀選手賞という盾をいただきました。それは彼の宝物となりまして今もテレビの脇に家宝となり置かれております。
 ちなみに倉田さんからの今年の年賀状は「ヘタレ」でした。ヘタレ黎は  中学に進んでもサッカーは続けるそうです。自分には夢があります。高校に進んでサッカー部にヘタレ黎が入り保護者として応援に行って3年間やりとげた姿が見てみたいです。
 まぁ~ささやかな夢ですがなかなか難しいかな、自分が最初に送り出した5期生の子は今年で20才を迎えます。久しぶりに会うと少しづつ大人になり背も高くなり。「昔は俺の方が高かったのになぁ~」と思いつつ一緒に練習した旧鳥屋野小学校グランドの日々を思いだします。新しくなった鳥屋野小学校(かなりたちますが)を旅立つ今の12期生の子達の保護者として2回目の卒団を迎えます。彼ら12期生の成長活躍とヘタレ黎の成長と活躍を楽しみにしています。
 最後に3~4年生時に基本の大事さ、一つ一つの試合の大切さを教えてくれた児玉さん、5~6年生の2年間、子供だけでなくオヤジのサッカーの面倒もみてくれて、サッカーの厳しさ・楽しさを教えてくれた倉田さん、久住さん、布施さん、サッカーのみならずプライベートの時間まで子供達のアニキであったマサル、12期生をあたたかく見守ってくれた古俣代表、大会で審判でいつも助けてくれた小山クラマネ、岸本さん本当にありがとうございました。
 12期生の子供達と父ちゃん、母ちゃんには本当にたくさんの思い出をいただきました。すっごく楽しかったです。ではまたまたこれからも末長くヨロシクです
倉田さん、久住さんやっぱりサッカーは楽しいですわ(笑)

高橋  黎の父   高トー

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