なつみが「サッカーをしたい」と言い始めたころ、小学校時代ペガサスでお世話になった二男がまだ高校で野球をしていて、親はなつみを連れての二男の追っかけをやっていて、真剣になつみの話を聞かずにいました。
保育園のころは一応女の子らしい子でしたので、そのうち、「サッカーをしたい」、なんて言わなくなるのだろうと思っていましたが・・・・・甘かった。
娘さんがサッカーをしているという知り合いに聞いてみると五十嵐ガールズと言うチームがあるとのことで体験に行きました。ところがその五十嵐ガールズで「うちのチームの子たちは全員4種のチームにも所属しているので、なつみも所属してください。」といわれました。
それが鳥屋野ファイターズとの出会いでした。3年生の初めだったと思います。
体験の時にはかずねさんがとても自然な形でストレッチなどで一緒に組んでくださり、とても安心した日がとても懐かしいです。
天地人の加藤清史郎のように「こんなところ来とうはなかった。」的な事を言っているころもありました。しかし、児玉監督や小松原コーチ、小山コーチ、倉田総監督を始めとする大勢のコーチの方々に時には厳しく、時には優しく指導していただき、どんどんファイターズは居心地のいい場所となり、大好きな自分のチームとなっていきました。チームメートの皆さんのお蔭で、学年が上がるにつれて、傍から見ても、どんどんファイターズが楽しく、サッカーが好きなっていくのが分かりました。鳥屋野小学校でもファイターズの仲間が多く、上級生、同年代、下級生に友達も増え、学校生活も楽しそうでした。また、親の私たちは代表や監督、コーチ、保護者の皆さんの子供たちやサッカーへの思いを知るにつけ、ファイターズの素晴らしさを感じました。
一人でいることも多く、きっと多くの方々にご心配をおかけしたことと思います。練習や試合から帰って来るとあんなこと、こんなことがあったと話してくれ、親の私たちには見えないつながりが多くあるのだとそのたびにチームメートに感謝、感謝でした。
野上監督、古俣代表にも本当にお世話になりました。紫鳥線ガールズの活動に参加させていただき、サッカーを心から楽しませていただき、また、少し自信つけていただき、これからもサッカーを続けていきたいという気持ちにつながっていると思います。
保護者の方々にも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。女子の活動も多く、わがままをいう場面が多々ありました。文句を言われても当然な場面でもいつも暖かい言葉をかけていただきました。本当にありがとうございました。
最後になりますが、6年生の皆さんの、また、これからのファイターズの皆さんのこれから活躍を祈っています。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
長谷川 父、母
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監督 児玉 (金曜日, 25 12月 2015 01:22)
長谷川さん、ファイターズと五十嵐ガールズ、そして紫鳥線ガールズの活動サポート、大変お疲れさまでした。五十嵐ガールズやトレセン活動では、遠征のため早朝や深夜の時間帯での送迎もあり大変でしたね。
女子選手は以前、1チームしか選手登録を出来ませんでしたが、日本サッカー協会が女子の活動をバックアップする為、レディースチーム以外の選手登録を認めたことでご縁がありファイターズ入部となったことを思い出します。当初入部した時の夏実の印象です。
足元のボール捌きが上手くスピードもあり期待しましたが、当時の男子メンバーに比べると非力でプレーが消極的でした。特に腰から上のボールについては、逃げてばかり(泣き)。「そのうち辞めちゃうかな」と思いました。
しかしここで夏実が辞めてしまったら、他のコーチ陣からなんて言われるか(-_-;)
当時3年生の練習に何故か他の学年コーチが見学に来ましたね(笑)。特にTコーチは夏実にゾッコン♡でした。
女子という特別扱いをせず一緒の練習メニューをこなし頑張った結果、5年生で女子トレセンに合格!そのころから技術的な部分がビックリするほど上達しました。どうしようもなかったハイボールの処理は合格ラインではないけど、ヘディングを何とかやろうという姿がようやく見えてきました。自分から話すことが少なかった夏実ですが、6年になってからトレセン活動の内容を報告してくれたり、心を開いてくれるようになり安心しました。いつもは物静かな夏実ですが、ファイターズと学校では、別人であることを他のメンバーが暴露し困った顔をしていたけど本当かな?いつものグランドの姿からは想像出来ません。
「夏実!!本当の姿をみせろ~!!!」
自分をさらけ出すことができれば積極性も増し、もっとすばらしい選手になると思います。
紅一点、最後までよく頑張りました。
ジュニアユースでも頑張って!応援しています♡