この度、長らくお世話になりました、鳥屋野ファイターズを無事卒団させていただきます。
登夢、想人、そして、啓心、竜二、田中家4兄弟皆様に可愛がっていただき、ありがとうございました。
啓心が小学2年生の夏に、再び鳥屋野ファイターズにお世話になることになりました。バレーボールをしていた啓心が兄弟の影響か、サッカーをしたいと言ったことから始まります。当時バレーの監督から、「お前は何も続けることができない人間になる」と言われても、「サッカーをやりたい」という気持ちを持ち、小学6年まで、そして、これからもサッカーを続けていこうと成長した啓心になりました。田中家の末っ子のためか、甘えん坊で、天真爛漫(?)で恥ずかしがり屋で、田中竜二がいつもついてくると信じている啓心です。どれだけ皆様にご迷惑をおかけしたことか、この場をお借りして、お詫びします。本当にすみませんでした。そして、違う小学校からの啓心を受け入れていただきありがとうございました。啓心の夢は「上山中学校に入学する事」でした。バカな啓心らしいと思いますが、いま、上山には行けないことを理解しています。
最後に、卒団を迎えましたが、まだ、誰かしらがこれからも何かとお世話になることがあると思います。その時は宜しくお願い致します。
追伸
K監督、Kコーチ、私のことを“マタギ”と呼ばないでくださいね。
名前で呼んでくださいね!
田中 啓心母 田中由香
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監督 児玉 (木曜日, 24 12月 2015 00:36)
田中さん、あっと言う間の4年間でしたね。たぬ吉での飲み会の帰り、「このメンバーなら上位を目指せるかも」と期待を膨らませ希望を持っていた頃が懐かしいです。しかし、いつしかその希望も愚痴に変わってしまいましたね(´-д-`)
由香さん、飲み会での送迎を幾度もしていただき有難うございました(__)。
竜二はコーチとして私の良き理解者でもあり、13期生の父兄の兄貴分として、又副代表としてファイターズをバックアップしていただき、本当にお疲れ様でした。
4年半の間、啓心を見てきましたが、明らかに努力家ではなく天才肌だと思いました。一生懸命という言葉を知っているかどうか? 練習はいつも気ままにプレーし、試合もマイペース・・・。いつも天真爛漫な姿が印象に残っています。しかし彼がいつもと違う姿になる時が唯一ありました。それは由香さんが観戦にきている時です。○○に睨まれた○○○ではないですが、あきらかにいつもと違う彼がそこにいました(笑い)
啓心のプレーで印象に残っているのは「ヘディング」。いくつものビューティフルゴールを思い出します。日本代表の岡崎ではないですが、足より頭の方が正確なのでは?リフティングも足で練習するより頭の方で練習をしていましたね。あとは視野の広さとワンタッチプレーの上手さ、評価は分かれますがタメを作れること(古俣代表からは、ローギアと命名され、倉田総監督からは、「遅っせ!」と言われていましたが)に関しては非凡なものがあったと思います。ただ残念だった事は、どこのポジションが彼の能力を最大限に引き出せるのか?結局見つける事が出来ませんでした。どのポジションを与えても平均以上にこなし、監督からするととても重宝する選手でした。13期生のメンバーで公式戦においてすべてのポジションを経験したのは、おそらく啓心だけでしょう。しかし、ポジションを固定されなかった事は、「絶対このポジションは啓心でなければダメだ」とアピール出来なかったのも事実です。これから中学校でもサッカーを続けると思いますが、器用貧乏で終わらないよう、一生懸命練習に取り組んでアピールしてください。
唯一、鳥屋野小以外のメンバーだったのにも関わらずよく頑張りました。
シャイなところもあるけれど、思いやりのある優しい啓心。
ジュニアユースでの活躍を期待しています。